こんにちは楽しみ太郎です!

 

今回は人気ドラマ「陸王」へ出演する瀬古利彦氏をお伝えします。

それでは見ていきましょう。

 

 

TBSの人気ドラマ「陸王」が最終回を迎える。

毎回異色のキャスティングが話題になってきたが

最終回を前に、意外な人が出演することが分かった。

 

 

瀬古利彦氏(61)が出演すると言うのだ!

本当に思い切った人を使うドラマである。

 

 

現役時代に伝説の記録を残し、

日本の陸上長距離界をリードした瀬古氏。

 

1984年ロサンゼルス五輪マラソン代表で、

現在は横浜DeNAランニングクラブの総監督を務める。

TBSのドラマは作家・池井戸潤氏の同名小説である。

 

 

 

今までも、池井戸氏作品のドラマ化は「半沢直樹」(2013年10月クール)

「ルーズヴェルト・ゲーム」(14年4月クール)

「下町ロケット」(15年10月クール)

と放送されてきた。

その中で、異色のサプライズ配役が“お家芸”になっていた。

今度の瀬古氏の配役もうなずける。

よく双方のスケジュールが合ったことに驚く!

その瀬古氏の事を少し載せてみたい。

 

 

 

     メニュー

・瀬古利彦氏のプロフィール

・瀬古利彦氏が陸王に出演するきっかけは?

・瀬古利彦氏の怪我や記録は?

・瀬古利彦氏のシューズは?

 

 

 

・瀬古利彦氏のプロフィール

氏名:瀬古 利彦(せこ としひこ)

選手情報

フルネーム:せこ としひこ

ラテン文字:Toshihiko Seko

国籍:日本

競技:陸上競技

種目:長距離走・マラソン

生年月日:1956年7月15日(61歳)

出身地:三重県桑名市

身長:170cm

体重:62kg

コーチ担当者:中村清

自己ベスト:

3000m 7分54秒9 (1979年)

5000m 13分24秒29 (1985年)

10000m 27分42秒17 (1986年)

20000m 57分48秒7 (1985年) アジア記録

25000m 1時間13分55秒8 (1981年) アジア記録

30000m 1時間29分18秒8 (1981年) アジア記録

マラソン 2時間8分27秒 (1986年)

瀬古 利彦氏は三重県桑名市出身の元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。

1970年代後半から1980年代にかけて

宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通、新宅雅也らとともに

日本長距離界をリードした。

現役引退後はヱスビー食品スポーツ推進局局長を経て、

2013年4月よりDeNAランニングクラブ総監督。

<ウィキペディア>

 

中学時代は野球少年だったが、校内大会で優勝し陸上部に頼まれ大会へ出場。

その後、県での大会優勝で陸上の名門四日市工業高校へ入学し本格的に陸上へ取り組む。

県大会でも数数の優勝を遂げ、早稲田大学へ進学する。

 

 

早稲田大学の中村監督にマラソンをすすめられ転向する。

3年生の時福岡国際マラソンに優勝しボストンマラソンに出場、

ビル・ロジャース(アメリカ合衆国)に次いで2位となる。

瀬古選手のオリンピック

オリンピック開催年の1980年、大学を卒業してヱスビー食品に入社していたが、ボイコットで出場できななった。

1984年ロサンゼルスオリンピックでは中盤以降失速し14位で終わる。

・瀬古利彦氏が陸王に出演するきっかけは?

どうして瀬古氏は陸王へ出演することになったのだろうか?

一つは、このドラマが始まった時から、関心があたと言う。

また、TBSの初田啓介アナウンサーと「ニューイヤー駅伝」での

解説などで親交があった。

ドラマがスタートした時に、二人は顔を合わせる機会があり

瀬古氏は「僕も『陸王』に出演してみたいな…」と冗談半分に漏らした。

初田アナが真剣に受け止めると、伊與田英徳プロデューサーに話が伝わり、

今回、奇跡的にスケジュールが合ってドラマ初出演が実現したのである。

撮影は最終回放送の3日前、21日に東京・千代田区の学士会館で行われた。

瀬古氏は「ドラマが始まった時から注目し、機会があれば是非、

出演したい!と思っていました。

最終回が近づき、あきらめかけていたのですが、

まさか、このタイミングで実現するとは!光栄です!」と

大喜びしていたようです。

・瀬古利彦氏の怪我や記録は?

1981年、トラック欧州遠征中に脚を故障、

1年以上にわたってマラソンのレースから遠ざかることになった。

この間、トレーニングと治療の両立という厳しい選択の中で中村と瀬古は様々な対応を試行し、

最終的には鍼灸師による定期的な療養により克服した。

中村はこの故障を「神様の与えてくれた試練」と表現した。

その怪我の前の記録は、

1981年2月の青梅マラソン出場。このとき記録した1時間29分32秒は現在も破られていない。

3月22日にはニュージーランド・クライストチャーチでの記録会で、

1レースで25000m(1時間13分55秒8)と30000m(1時間29分18秒8)の世界記録を同時に樹立した。

 

この両記録は2011年にモーゼス・モソップに破られるまで、

国際陸上競技連盟(IAAF)が公認するトラック種目として日本人が唯一保持する世界記録だった。

その直後、4月のボストンマラソンでは日本人として7人目の優勝を飾る。

この時の優勝記録2時間9分26秒は前年のビル・ロジャースの優勝記録を1秒上回る大会新記録であった。

 

 

・瀬古利彦氏のシューズは?

ドラマの茂木裕人選手は故障から立ち直るために

走法を変え、新しい走法にマッチした足袋型シューズを履く事で、見事に復帰します。

これのモデルが瀬古選手なのだそうです。

前序の怪我からの復帰した瀬古選手も、

練習を続け復活を遂げオリンピックへ出ています。

 

 

故障して前線から離脱していた期間も、瀬古利彦選手は、練習を続けました。

怪我をした足に負担がかからないシューズを用意したのが、

アシックスのシューフィッター・三村仁司氏です。

 

三村仁司氏は、トップ選手それぞれに合うオーダーシューズを作っていました。

瀬古利彦選手にも、別注シューズを用意していました。

本当にドラマと同じことが起きていたのですね!

作家の池井戸潤氏はこの取材もしていたのでしょう?

アシックスのシューズが有名になったのも、

ソール面の改良によるものでした。

素材は新しいものではありませんでしたが、

アシックスは、ゴムを網目状にして合成皮革を貼り付けました。

それにより、軽くて足に合うマラソンシューズになりました。

また、瀬古利彦選手のサポートをした三村仁司氏は、

シューズの甲の部分をポリエステルに変更したシューズを開発していました。

 

この工夫によって、それまでのランニングシューズより

50g以上軽いシューズが出来上がりました。

 

 

 

やはり記録の裏に、いろいろな人の努力があるのですね。

今回のドラマが、その所をうまく描いているようで

嬉しく、面白く見ています。

皆さんはどうでしょうか?

最終回がますます楽しみですね!

最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。

スポンサーリンク
おすすめの記事