石川遼耐えた3年復活のメジャー優勝!頑張った影の応援者は?
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こんにちは楽しみ太郎です!

今回は男子ゴルフの日本プロ選手で優勝した石川遼選手をお伝えします。

それでは見ていきましょう。

目次

  • 耐えた3年間、メジャー初制覇!
  • 石川遼選手のプロフィール
  • 優勝を支えたのは?

 

 
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耐えた3年間、メジャー初制覇!

耐えに耐えた3年間!ついに石川遼選手がメジャーを制した!

男子ゴルフの日本プロ選手権最終日は7日、鹿児島県いぶすきGC(7150ヤード、パー70)で残り2ラウンドが1日で行われ、最終ラウンドを66で回った石川遼が通算13アンダー、269で並んだ黄重坤(韓国)とのプレーオフを制し、国内三大大会初優勝を果たした。ツアー制覇は2016年8月のRIZAP・KBCオーガスタ以来、3季ぶりで通算15勝目。賞金は3千万円。

石川は第3ラウンドを首位と4打差の6位で終えたが、最終ラウンドでは5バーディーを奪い首位に並んだ。18番(パー5)でのプレーオフ1ホール目に、イーグルを奪って決着をつけた。

2打差の3位に前週優勝の星野陸也、さらに1打差の4位には藤田寛之、時松隆光、ショーン・ノリス(南アフリカ)。

石川、国内三大大会初V 日本プロで3季ぶり勝利

 

 


 

 

本当におめでとうございます。

実は私はもうダメだろうと思っていました。

若くしてスタープレーヤーになり、CMなどで見ない日がなくなり

ゴルフよりもほかの方が目立つようになってもうだめだと思うっていた。

 

よくあるパターンで転落のプロスポーツ選手像である。

石川選手もそのうちの一人になってしまったと思っていました。

しかし彼は、必死になって頑張っていたのです。

外野の罵倒も力に変えて、じっと我慢して練習を積んでいた。

それが本当に花が咲いて戻ってきてくれた。

本当におめでとう!

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石川遼選手のプロフィール

名前:石川 遼

生年月日:1991年9月17日(27歳)

身長:175 cm (5 ft 9 in)

体重:72 kg (159 lb)

出身地:埼玉県北葛飾郡松伏町

経歴

プロ転向:2008年

プロ勝利数:14

日本ツアー:15

メジャー選手権最高成績

マスターズ:T20: 2011

全米オープン:T30: 2011

全英オープン:T27: 2010

PGA選手権:T29: 2013

受賞

賞金王:2009

成績

初優勝:マンシングウェアOP

(2007年)

ベストスコア:58 - 中日クラウンズ:4R

(2010年)

世界ランク最高位:29位(2009年12月5日)

賞金ランク最高位:日本ツアー:1位(2009年)

2013年9月17日現在

<ウィキペディア>

幼少期に父親に連れられてゴルフの練習場に行ったのが始まりで小学校時代には

千葉県野田市にあるゴルフ練習場に通って練習をしていた。

2004年に、全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。

2005年に関東中学校選手権、2006年に全国中学校選手権大会・春季大会を優勝するなど、

全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあった。

 

高校生となった2007年に行われた、マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠でツアー初出場。

この大会に、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成した。

霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権男子15歳から17歳の部で、

大会史上最年少の15歳11か月で初優勝。

2008年1月10日、記者会見を行いプロ転向を宣言。16歳3か月24日の史上最年少のJGTOツアープロとなる。

 

ニックネームは「ハニカミ王子」。

男子ツアー世界最年少優勝、日本での最年少賞金王記録保持者。

 

優勝を支えたのは?

男子ゴルフの日本プロ選手権でメジャー初優勝を飾りました。

石川遼と言えば、一昔前の選手?とのイメージですがまだ27歳です。

そのプロデビューが早かったためにビックリしますよね。

華々しいデビューの後、まったく勝てなくなります。

そしてその後、2016年3月2日に現在の奥さんと結婚します。

この前から、怪我や予選落ちが続いて、下げマンなどと言われ続けていました。

また、子供が出来ないのも嫁のせいだとも?

本当に外野はいい加減ですね。

 

実は、奥さんは、さとみさんと言いますが、交際は

同じ中学時代からだったのです。

もう8年も交際して結婚したのですから、下げマンどころか

プロゴルファー石川遼を応援し続けたのが里見さんだったのです。

 

残念ながらその後、不調になった石川選手が世間にたたかれだして

しまったのは残念ですが、その彼を知り尽くしていたさとみさんが

我慢強くサポートし続けていたのです。

 

焦りも、くさりもあった若きアスリートを支え続けるのは大変だったでしょう、

普段ならそのまま落ちていくのがアスリートの宿命です。

這い上がれる人はまれなのです。

 

そのくらい厳しい世界で戦っているアスリートの世界!

そんな彼を支え続けて、ようやく一つ花が咲きました。

でも、彼の戦いはこれからまだまだ続きます。

二人で戦い抜てほしいですね。

応援しています!

 
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最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。

 

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